2017-05

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

image

忘れた頃にさらっと更新。


最近、気持ちの良い天気が続いています。
梅雨になる前に何かしなきゃと思いつつ、最近散歩に出てないなー。



最近、自分の言葉がない気がしてきました。
自分らしさってなんだっけ。


自分らしいといえば、思い出すと顔をしかめたくなるような恥ばかり。
なんでこんなにしょうもない性格なんだ…



ルミネのキャッチコピーが素敵なものが多くて好きです。
昨日見かけたのは、
『あなたが 思い出す わたしは、どんな服を 着てるの だろう。』



そそそそうだよね、いくら楽だからって、ジーパンばっかはいてたらジーパン娘のイメージになっちゃうよね。



文だけにするとなんだか普通の問いかけだけど、ポスターのビジュアルが乙女でかわいくて、「私もこういうイメージで思い出してもらいたいな」って思えるような世界になってます。



私はどんな服を着て、どんな世界を背景にして思い出してもらえるのかな。
スポンサーサイト

目に映したもの

仕事中はずっとパソコンに向かっています。




ふと、私の人生の中でパソコン画面を見ている時間はどのくらいになるのだろうと考えてしまいました。


今まで自分の目で見てきたものを今ここで再生したとして、四角い画面の中だけがくるくる変わる映像ばかりだったとしたら…




まさに今もこうしてパソコン画面でブログを書いているわけだし。
よく飽きもせず一日中使ってるなあとも思うんですけど…




会社がMacで、自宅がWindowsだから別な気がしちゃうのかな。


いやパソコンには変わりないのは承知なんだけど…




パソコンばっかり見てるとモグラ目になっちゃうようで、きらきら光の射す昼間に外を歩くとまぶしくて目が3になります。


なんかこういう感じ→ (3_3)





テレビでも、ゲームでも同じかもしれません。


情報は得られるし、楽しいし、作業も効率良くできるし、決して悪いものではないのだけど…





でもやっぱり限りある時間の中で、何を見ていきたいと考えたら、私は自然の緑をたくさん映してあげたいなあと思います。




どこか、山にでも行きたいなあ…

卒業制作

先週、無事に卒業制作の提出を終えました。




先生には、一生に一度の卒業制作、誰に聞かれても恥ずかしくないように、精一杯自分を出し切れと言われてきました。





無事に提出を終え、今は自分の中にあるすべてを出し切ったという爽快感と、こうしておけばよかったという後悔が、ぐるぐると自分の中を行ったり来たりしています。





でも終えてみて思うのは、私にとって卒業制作とは
「思いっきり自分のやりたいことだけを考えて暴れまわれる、最高に贅沢な期間」


だったということです。






誰に制約されることなく、制作に恵まれた環境で、
助言をもらいながらひとつの作品を仕上げることに集中できるっていう…



これはもう味わえない贅沢かもしれないなあ。






時間がなくて辛かったし、日々何かに追われる生活だったけど、
それは充実してたっていうことなんだろうなあと…
本当に幸せな時間だった。








集中しすぎて周りが見えない自分を、許して支えてくれた家族にも本当に感謝しています。


恐らく、家族はどんなにイラっときても「卒業がかかってる」ということで、その感情をなんとか堪えてきたと思います。



…手伝い怠りまくってすみませんでした。





今度は卒展に向けて、足りなかった部分を補充していくつもりです。








内容は、簡単に言うと、私の地元である埼玉県さいたま市の、緑の保全計画です。



…というと堅苦しいんですけど、あくまで美大生なので、
専門的な数字や研究を中心に取り組んだわけではありません。(できません)





そのきっかけを知ってもらい、様々な人々に環境のメッセージが届くようにと、絵本とパンフレット、模型という形で提出しました。





きっと、ここが私の原点なんだろうなって感じながら制作しました。
コンセプトも、土地も、表現手法もすべてひっくるめて。




この課題のおかげで、あまり好きではなかった地元の魅力を
たくさん発見することができ、地元が大好きになりました。



ボランティアの方や博物館の方などにもたくさんお世話になって、
できれば私も、これから一緒にお手伝いをしていきたいと考えています。







これからは私も、地元を大切に考えていこう!




…就職先は東京だけど!


大胆に繊細に

この前電車に乗っていて、「一人ずつ何かの共通点で線を結んでいったら、私からつながる線は何本くらいになるかな」とふと思いました。



小学校が同じとか、実は友達のお隣さんだとか、先生の知り合いとか、一見知らない人ばかりの電車の中も、きっと打ち明けてみたらたくさんの意外なつながりが見つかると思います。





自分からのびる線は、今はまったく他人だから目に見えない線だけど、きっとこれがお互い強くなると話しかけたりして、目に見える形の線になっていくのかな、とか。




電車ってしょうもない想像をするのにぴったりの場所ですね…







この前ちょっと落ち込みぎみなときに電車の中で考えたのは、「この中の人たちといろんなジャンルで競ってみて、私は何かで一番を取ることはできるか?」ってことです。



体力勝負は自信を持って無理だと言えるし、私がこのたくさんのライバルに勝てるものなんてあるのかなあって考えました。



電車の中の人を全員ライバルに捉えるなんて、相当気分が沈んでいたんだと思います。



私ができそうなのは、色名をいくつ挙げられるか、とか?
でも専門的な仕事をしている人にはかなわないだろうし、私はどっちかというと色についてのうんちくばっかりだし…


そういえば、せっかく覚えたのに忘れてる名前がけっこうあることにこの前気づいて落ち込みました。
なんだろうこの使えない脳は…




比較的、順位が高めなものがあったとしても、一位になれるものなんてなくて、ほとんど他の人のなかに埋もれてしまうんだろうなと思ったらちょっと悲しくなりました。



きっと、私と言ったらこれ!って自信を持って言えるものがほしいんだと思います。





でもそこで、ナンバーワンよりオンリーワンっていう例の歌が頭をよぎりました。


他人と比べて自信を持つのではなくて、自分の中から自信を見つけていけるといいのかな…





他人をものさしにして比べる方法が簡単なだけに、自分の中でいいと思えるものを見つけていくのってなかなか難しいような気がします。




う~ん、まだ自分の中からいいところなんて見つけられないなあ…




この前新聞に載っていた統計で、「私は多くの良い性質を持っていると思うか」という質問に、日本人は極端に「そうは思わない」が多くなっていました。


アメリカは半分が「そう思う」でした。
ポジティブだなあ。うらやましい。



子どものころに自然体験や共同生活をしていたかどうかも自己評価に影響するのではないかと記事には書かれていました。


もっと自然と遊んで過ごせばよかった…


私の場合周りを気にする性質も影響しているような気がします。






他人に対する謙虚さは、ときに日本人のいいところにもなるけれど、もしかしたら自分に対してはもっと大胆になってもいいのかもしれません。



大胆に、繊細に。
バランスって難しい…

努力

友達がグループ展をやっているというのを聞いて、この前のぞきに行って来ました。



場所は小さなカフェで、他にも学生の作品やフリーで活動している方の作品が置いてあって、アートカフェと言うのか手作り感のあるアットホームなお店でした。



友達は夏休みを費やして労作を仕上げていて、作品からは彼女のオーラが出ていました。


ちゃんと作品が彼女の分身になってメッセージを伝えていました。



これって、当たり前のようで本当は時間と労力をかけないと出てこないものだと思います。


なんとなく作り手の雰囲気を出すことはできたとしても、そこにメッセージをのせて人に伝えるのって独りよがりになりがちだし空回りしたりもすると思うんですけど…


ちゃんとまっすぐ前を向いてる作品でした。
頑張ってるなあ…私も見習わないと。




で、そこで最近気になっている「芸術って何?」質問を彼女にも聞いてみました。


いろいろ話しているうち、彼女が最近感じていることが私とはまた違った視点でおもしろいなと思いました。




友達は、努力についてよく考えているそうです。


自分は努力して努力して頑張って作品を作っているけれども、周りを見るともっと努力して作品を作っている人がいるそうです。


そういう人を見ると自分ももっと頑張らないと、って励まされるけれど、逆に自分から見て全然努力しているように見えない人もいるそうです。



そういう人を見ると腹立たしくもあるし、グループ作業のときはそれが仕事として問題も出てくるのだけれど、もしかしたら自分より努力している人から自分を見たら同じように腹立たしい思いをしているのかもしれない…



そう思うと努力って人によってメーターに差があるなあと感じるそうです。



…確かに。



で、友達は、人が作り出す芸術っていうのは「努力したもの」なんじゃないかと思ったそうです。



こんなんでまあいいだろう、と思って作った作品には芸術とは言えないんじゃないか、時間と想いをかけて作ったものが始めて芸術になるんじゃないか…


みたいなことを言っていました。
確か。




時間を理由に妥協してきた経験を多く持つ身としては、なかなか耳が痛い話でしたが、確かに作り手に想いのない作品なんて芸術とは言えない気がします。



…結局、お互い
「…卒制がんばろうね…」
という結論に至りました。



そうだね、頑張ろう。
この時期、結局はここにたどり着くんだよね…



自分の時計

考えてみたら、8月1日でブログを始めてちょうど2年目に突入だったんですけど、何もせずにしかも滞ったまま時間が過ぎてしまいました。


せっかくだから何かしたいなとか考えていたからっていうのも滞ってしまった原因のひとつのような気がするので、もうそういう野望は諦めることにします。


普段どおりの更新で、細々と続けていければいいなと思っています。


さっそく言い訳から入ってしまった…





この前、バイトの後輩の子と話していて、その子が夏休みが暇すぎて早く学校が始まってほしいと言っていました。



贅沢な意見だなと思ったのですが、本当に何もすることがなくて、毎日昼頃にやっているドラマの再放送を見て時間をつぶしているらしいです。



私も家でごろごろするのは嫌いじゃないのですが、晴れている日に家でテレビを見ているとなんだかもったいないことをしているような気分になります。


晴れているなら光合成しときたいというか。


せっかくの光を浴びて補充しておきたい気分になるんですが…
その子はあんまりそういう気分にはならないそうです。





まあわかるんですけど。


でも理想論を言うのなら、家にいて時間が余っているなら、一度見たドラマを見るよりも、何かを作るとか吸収するとか、時間を形に変えていくべきなような気がします。


休むことも必要だとは思うんだけど、休みつつも備えていきたいというか…





私は一度読んだ本やマンガ、映画やドラマをもう一度観るのがけっこう好きなのですが、これって生きているうえでは時間の無駄をしているのかなあと思うときもあります。


もう一度思い出すっていう行為としてはいいのかもしれないけど、一回吸収したものをまた取り入れるよりも、新しく知らない世界を知っていったほうが人生の時間を考えたときに有効的な使い方をしているのかなあと思ってしまったり…




…と、そんなことを後輩に話したら、
「なんか生き急いでませんか?」
と言われてしまいました。



あれ?
そっかな…





でも考えているだけで実際行動に移しているかと言うと、昼寝は多いし、マンガ読み直したりしてるしで全然そうではないんですけど。


時間には限りがあって、あとから後悔しないように大切に使っていきたいなあとは感じています。




それにしても、後輩と私とで時間の捉え方がこうも違うことに驚きでした。


人の数だけ、それぞれを流れている時間の流れに違いがあるってことかなあ…




現代の生活で時計の存在がいっさい消えてなくなったら、とんでもないことになりそうです。

身近なこと

今年大学一年になった妹が、芸術学の授業のレポートを書くというので、最近芸術について思っていることを話すようになりました。


すると芸術って何?という根本的な定義について考えるようになって、最近芸術に対する考えが少し明確になってきた気がしてます。



一言で簡単に言っちゃえば、「芸術ってすごく身近な存在だな!」って思うようになりました。


まあ今さらな意見なんですけど…
恥ずかしいことに、今まであまり実感した経験がありませんでした。





大学2年生のときに、ビジュアルデザインの先生が、落書きは芸術か芸術ではないかについて話していた記憶があります。


先生は、落書きは犯罪行為だけれど、ごくたまに「これはかっこいいんじゃないか」とはっとしてしまう作品に出会うこともあると言っていました。


実際、外国で落書きをアートとして活動している芸術家がいるそうです。





私は知り合いの人が大切なお店に落書きをされて、とても落ち込んでいたことがあったので、落書きは本当に許せない行為だと思っていたんですけど…




そこから芸術か芸術ではないかという定義は人によってだいぶ変わるね、という話になりました。





私の最初の芸術の定義は、芸術とは「人が決めるもの」だと思っていました。


自然の植物は芸術か芸術じゃないか、と言ったら、人が「これは芸術だなあ」と感じたら芸術だし、べつにただの植物だと感じたらそれは違う…と思っていました。



そうすると絶対的な芸術はありえないってことになるんだけど。






でも最近、そこに「感動」があるかないかがキーワードになるんじゃないかな、って考えるようになりました。



例えば…落書き。
落書きを描いた本人が、もし楽しんで作品として描いているのだとしたら、彼にとってそれは芸術なのかもしれません。


それを見て「すごいなあ」と感動した人にとっても、それは芸術なのかもしれません。


でも描かれたものの持ち主にとってそれが迷惑な落書きでしかなかったら、それは芸術とは呼べなくなるような気がします。




やっぱり絶対的な芸術はありえない、っていうことにはなるんだけど…





でもそう考えると、作り出した本人に感動があればそれはもう芸術で、誰かがそれを見て感動してくれたら芸術の心が共有できたってことになります。




「芸術」って敷居の高そうな印象を受ける言葉だけど、全然そうじゃなくて、感動があれば誰でも生み出せるし感じられることなんじゃないかなって思うようになりました。



うん。本当に今さらなんだけど…



芸術の秋になったことだし、今年の秋はたくさん感動していこう。

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

笛吹きコフカ

Author:笛吹きコフカ
モノ、色、コトバ、デザインについて、感じたこと、考えたことなどを新鮮なまま冷やしておいておくところです。

年齢:1986年生まれ
性別:
特徴:
印刷広告会社で、デザインの仕事をしています。学生の頃に比べて、美術館に行く回数も、自主制作の機会も減ってきた気が…
なんとかしなくちゃと思っている今日このごろ。


来て頂いてありがとうございます。
初めて来てくださった方は、カテゴリーの 冷凍庫のメモ から見てくださるとうれしいです。

過去記事でも受け付けてますので、
コメントいただけると喜びます。
このブログはリンクフリーです。
もし教えていただけたら、喜んで遊びに伺います!
since 2006.8.1

カテゴリー

月別アーカイブ

最近保存したもの

最近のコメント

おともだち

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

あしあと

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。