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09.Sun |
奈良・京都レポート その2 [ペットボトル] |
飽きちゃう前に、旅行レポート更新行きます!
二日目。
この日はバス移動だったので、一日目よりバスの中で休憩ができる分、少し楽でした。
最初に当麻寺へ。
ここは高校の修学旅行で行ったことがありましたが、見たのはほんの一部だったんだなと感じました。
実際高校のときは見なかったところもあったし、見たけれどなんとなく見ただけで、本当には見えていなかったものもたくさんありました。
ここではお寺の住職さんにいろいろ説明をしていただきました。
この方はとてもお話の上手な方でした。
関西弁できれいな敬語を話されると、いいなあと思います。
このお寺についてのことは見事に暗記されているようで、尊敬しました。
年代とか名前とか、よく覚えられるなあ。
すごいです。
さっそく、住職さんに案内されてまずは奥院にある宝物館へ。
宝物館には曼荼羅や屏風などが置かれていましたが、私は二十五菩薩来迎像という、30センチくらいの大きさをした菩薩様が、25人並んでいる像が気になりました。
これは私達を極楽浄土へ迎えてくださる菩薩だそうで、みんなそれぞれ楽器を持ったり踊ったりしていました。
25人それぞれみんな動きが違って、表情もほんのり笑っているものやもの静かなものなど様々でした。
持っている楽器も太鼓とか琵琶みたいのとか笛など、一人一人違っていて、どんな曲を演奏しているんだろうと気になりました。
極楽浄土行きの音楽なんだから、さぞ盛大で壮大なとりあえずスケールの大きいものなんだろうなあ。
(想像が貧困ですみません)
そういえばネロとパトラッシュは死んだときに迎えに来たのは天使だったけど、わたしがいい行いをして死んだ場合はこれが来てくれるのかな。
…ちょっと想像できないな。
次に曼荼羅堂へ。
中将姫の伝説のある、大きな当麻曼荼羅がありました。
中将姫の伝説は高校のときに解説してもらったので知っていましたが、改めて聞くとシンデレラみたいな話だなと思いました。
簡単に話を言うと、
「あるところに美しい中将姫という姫がいました。
姫は継母のいじめを受けながらも極楽浄土を願いけなげに耐えていました。
のちに当麻寺へ出家すると、ある夜、彼女のもとに仏が現れました。
姫は仏の力を得て、一夜で五色に染めた蓮の糸を使って曼荼羅を織り上げました。
すると姫が29歳のときに阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、彼女は西方浄土へと旅立って行きました。」
…王子様もいないし最後はつまり死んじゃったということだし、シンデレラの話とはだいぶ違うとは思いますが、大まかな流れは似ている気がします。
この話の中で織り上げたのが当麻曼荼羅だそうです。
曼荼羅ってなんのためにあるのかなんて考えたことなかったけれど、字が読めない人にも極楽浄土へ行くための方法がわかるようにと、わかりやすく視覚的に説明するためにあるんだそうです。
なるほど…
つまりは図説ってことか。
万人にわかってもらえる方法が、絵を使うことだったみたいです。
確かに字を追うよりもイメージしやすいし、極楽浄土のイメージと言われるとまず曼荼羅の絵を想像します。
このころは映像も写真もないし、今よりも絵の役割が大きかったんだろうな。
隣には「来迎阿弥陀如来立像」という仏像がありました。
一見普通の仏像かと思いきや、実は中が空洞で、人が入れるようになっていました。
住職さんが言いにくそうに、「つまり…着ぐるみ型の阿弥陀様ということになりますね」と言ってました。
日本でも唯一の仏像だそうで、これを使った練供養という行事が毎年行われているそうです。
もちろん今は本物を使っているわけではないようですが、実際使っていた時代もあったそうです。
仏像をかぶろうだなんて、よく考えついたなあ。
でも確かに、歩く仏像なんて驚きです。
この行事を行うことで、言葉ではなく視覚的に仏教の教えを知ってもらうという曼荼羅と同じねらいがあったそうです。
仏教を広めようと、いろいろ工夫をしてたんだな。
ぜひ一度そのお祭りを見に行ってみたいです。
他にも曼荼羅堂には曼荼羅を入れるための日本一大きい逗子だとか、貝の装飾がきれいな須弥壇などがあります。
ここで香木というのがえらい高いものだということを知りました。
須弥壇も本当は香木で作りたかったそうですが、日本では採れない貴重な木だったため、似せて模様を描いたそうです。
買えないけれど似せる努力をしたっていうのがほほえましいなと思います。
まだまだ。次は金堂へ。
ここには中心に弥勒仏坐像と、周りに四天王立像がありました。
またまた四天王。
ここの四天王はイケメンぞろいで、みんな中東出身みたいな顔をしてました。
髭が生えていたのですが、日本では珍しいことのようです。
ちなみに私は広目天が理知的で素敵に見えました。
増長天の微笑みも素敵でした。
…この旅行で仏像を見る目が変わったなとは思っていましたが、明らかにここで自分のタイプの顔を探すクセがついていることに気づきました。
…そんなんでいいのか自分。
ここの四天王は土でできていたせいもあり、その中の多聞天は戦争で粉々に割れてしまったそうで、それだけ鎌倉時代に後から作られていました。
鎌倉時代の特徴として、筋肉のついた動きのある形というのがあげられるそうですが、この多聞天は一人だけムキムキとした筋肉男になっていて、なんだか浮いててちょっとかわいそうでした。
四天王といえば踏み潰されている鬼がセットで付いてきますが、ここのはまるでマッサージを受けているような気持ちよさそうな鬼がいたりして、全体的にかわいい鬼が多かったです。
でもやっぱりその中で多聞天の踏んでいる鬼だけムキムキとしてやけにリアルな顔をしてて、浮いてました。
ここでは他の四天王に似せようとは思わなかったのか…
多聞天の作者は、他人の作品を真似することよりも、自分の表現で現したかったのかなあ。
他にも講堂を見せてもらったあと、住職さんにお礼を言って、バスに乗って次の目的地へ向かいました。
当麻寺はたくさんの仏像と曼荼羅があって、なかなか見ごたえのあるところでした。
…まだまだ続きます。でもとてもきりがないので、お寺ごとに更新することになると思います。
終わるのかなあ〜これ…
学校に提出するレポートもどうまとめようかなあ…
この日はバス移動だったので、一日目よりバスの中で休憩ができる分、少し楽でした。
最初に当麻寺へ。
ここは高校の修学旅行で行ったことがありましたが、見たのはほんの一部だったんだなと感じました。
実際高校のときは見なかったところもあったし、見たけれどなんとなく見ただけで、本当には見えていなかったものもたくさんありました。
ここではお寺の住職さんにいろいろ説明をしていただきました。
この方はとてもお話の上手な方でした。
関西弁できれいな敬語を話されると、いいなあと思います。
このお寺についてのことは見事に暗記されているようで、尊敬しました。
年代とか名前とか、よく覚えられるなあ。
すごいです。
さっそく、住職さんに案内されてまずは奥院にある宝物館へ。
宝物館には曼荼羅や屏風などが置かれていましたが、私は二十五菩薩来迎像という、30センチくらいの大きさをした菩薩様が、25人並んでいる像が気になりました。
これは私達を極楽浄土へ迎えてくださる菩薩だそうで、みんなそれぞれ楽器を持ったり踊ったりしていました。
25人それぞれみんな動きが違って、表情もほんのり笑っているものやもの静かなものなど様々でした。
持っている楽器も太鼓とか琵琶みたいのとか笛など、一人一人違っていて、どんな曲を演奏しているんだろうと気になりました。
極楽浄土行きの音楽なんだから、さぞ盛大で壮大なとりあえずスケールの大きいものなんだろうなあ。
(想像が貧困ですみません)
そういえばネロとパトラッシュは死んだときに迎えに来たのは天使だったけど、わたしがいい行いをして死んだ場合はこれが来てくれるのかな。
…ちょっと想像できないな。
次に曼荼羅堂へ。
中将姫の伝説のある、大きな当麻曼荼羅がありました。
中将姫の伝説は高校のときに解説してもらったので知っていましたが、改めて聞くとシンデレラみたいな話だなと思いました。
簡単に話を言うと、
「あるところに美しい中将姫という姫がいました。
姫は継母のいじめを受けながらも極楽浄土を願いけなげに耐えていました。
のちに当麻寺へ出家すると、ある夜、彼女のもとに仏が現れました。
姫は仏の力を得て、一夜で五色に染めた蓮の糸を使って曼荼羅を織り上げました。
すると姫が29歳のときに阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、彼女は西方浄土へと旅立って行きました。」
…王子様もいないし最後はつまり死んじゃったということだし、シンデレラの話とはだいぶ違うとは思いますが、大まかな流れは似ている気がします。
この話の中で織り上げたのが当麻曼荼羅だそうです。
曼荼羅ってなんのためにあるのかなんて考えたことなかったけれど、字が読めない人にも極楽浄土へ行くための方法がわかるようにと、わかりやすく視覚的に説明するためにあるんだそうです。
なるほど…
つまりは図説ってことか。
万人にわかってもらえる方法が、絵を使うことだったみたいです。
確かに字を追うよりもイメージしやすいし、極楽浄土のイメージと言われるとまず曼荼羅の絵を想像します。
このころは映像も写真もないし、今よりも絵の役割が大きかったんだろうな。
隣には「来迎阿弥陀如来立像」という仏像がありました。
一見普通の仏像かと思いきや、実は中が空洞で、人が入れるようになっていました。
住職さんが言いにくそうに、「つまり…着ぐるみ型の阿弥陀様ということになりますね」と言ってました。
日本でも唯一の仏像だそうで、これを使った練供養という行事が毎年行われているそうです。
もちろん今は本物を使っているわけではないようですが、実際使っていた時代もあったそうです。
仏像をかぶろうだなんて、よく考えついたなあ。
でも確かに、歩く仏像なんて驚きです。
この行事を行うことで、言葉ではなく視覚的に仏教の教えを知ってもらうという曼荼羅と同じねらいがあったそうです。
仏教を広めようと、いろいろ工夫をしてたんだな。
ぜひ一度そのお祭りを見に行ってみたいです。
他にも曼荼羅堂には曼荼羅を入れるための日本一大きい逗子だとか、貝の装飾がきれいな須弥壇などがあります。
ここで香木というのがえらい高いものだということを知りました。
須弥壇も本当は香木で作りたかったそうですが、日本では採れない貴重な木だったため、似せて模様を描いたそうです。
買えないけれど似せる努力をしたっていうのがほほえましいなと思います。
まだまだ。次は金堂へ。
ここには中心に弥勒仏坐像と、周りに四天王立像がありました。
またまた四天王。
ここの四天王はイケメンぞろいで、みんな中東出身みたいな顔をしてました。
髭が生えていたのですが、日本では珍しいことのようです。
ちなみに私は広目天が理知的で素敵に見えました。
増長天の微笑みも素敵でした。
…この旅行で仏像を見る目が変わったなとは思っていましたが、明らかにここで自分のタイプの顔を探すクセがついていることに気づきました。
…そんなんでいいのか自分。
ここの四天王は土でできていたせいもあり、その中の多聞天は戦争で粉々に割れてしまったそうで、それだけ鎌倉時代に後から作られていました。
鎌倉時代の特徴として、筋肉のついた動きのある形というのがあげられるそうですが、この多聞天は一人だけムキムキとした筋肉男になっていて、なんだか浮いててちょっとかわいそうでした。
四天王といえば踏み潰されている鬼がセットで付いてきますが、ここのはまるでマッサージを受けているような気持ちよさそうな鬼がいたりして、全体的にかわいい鬼が多かったです。
でもやっぱりその中で多聞天の踏んでいる鬼だけムキムキとしてやけにリアルな顔をしてて、浮いてました。
ここでは他の四天王に似せようとは思わなかったのか…
多聞天の作者は、他人の作品を真似することよりも、自分の表現で現したかったのかなあ。
他にも講堂を見せてもらったあと、住職さんにお礼を言って、バスに乗って次の目的地へ向かいました。
当麻寺はたくさんの仏像と曼荼羅があって、なかなか見ごたえのあるところでした。
…まだまだ続きます。でもとてもきりがないので、お寺ごとに更新することになると思います。
終わるのかなあ〜これ…
学校に提出するレポートもどうまとめようかなあ…
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